JR高槻駅より徒歩5分、「霊松寺」バス停より徒歩1分、
専用駐車場完備で車・電車・バスと交通手段を選ばずにいつでもお参りに行ける数少ない都市型霊園。
高槻市だけでなく、茨木市や吹田市、京都にお住まいの方もお求め頂いております。
園内に入るとまるで別世界のような静かで情緒ある落ち着いた環境が心を癒します。
北を向けば緑もあり、水の音と鳥の鳴き声が静かに響きます。
南を向けば駅前のタワーマンションが見える…
なんとも不思議で魅力ある空間です。
園内に入るとまるで別世界のような
静かで情緒ある落ち着いた環境は他にはない特別な空間としてお参りの方の心を癒します。
春には桜、秋には紅葉と四季折々の風景と景観の良さは廣智寺霊園の魅力ある特長の一つです。
廣智寺霊園をお選び頂いたほとんどの方が
「立地の良さ」「園内の雰囲気の良さ」「設備の充実」で決めたといって頂いております。
その他にもたくさんある廣智寺霊園の魅力や特長をお伝えいたします。
お子様が遠方に住んでいる、娘様しかいない、お子様に負担を掛けたくないなどの理由から
永代供養を求められる方が増えてきております。
廣智寺霊園では、お客様の状況に合わせた永代供養付プランをお選び頂けます。
今回、はじめてお墓を建てられるという方は、
先に「はじめてのお墓選び」をご覧いただくことをお勧めします。
廣智寺 寺伝
創建年月は不明であるが、寺伝では、聖徳太子の開創といい、太子自ら観世音菩薩像を造り、堂宇を建て安置したことに始まる。
1578年(天正6年)キリスト教を崇敬した高槻城主高山右近により改宗を迫られ、これに応じなかったため、諸堂宇が焼き払われましたが、本尊の観世音菩薩像のみ難を逃れたため、里人たちが草庵に安置し、お守りしました。
1661年(寛文元年)太子への信仰が厚い、時の城主・永井直清が夢の中で、聖徳太子より現在の地に観音像を祀るように告げられた。直清の発心により、中国の高僧隠元の抄招聘知られる後水尾天皇の勅師龍渓が自ら開山となって再興した。
後、弟子の独量や櫟隠禅師が後を継ぎ、1673年(延宝元年)本堂や方丈を建立し、今日の礎を築いた。
寺名を優雲波羅華山観音廣智勝幢禅寺(うどんばらげざんかんのんこうちしょうとうぜんじ)と改称(これが正式名)。
従来は慈恩寺と称し、信者は高槻にとどまらず、現在の大阪市内を含め全国に広がり「かんのんさん」の愛称で親しまれ、深く信仰を集めてきました。
現在当寺は黄檗山萬福寺の末寺にして黄檗宗を奉じ、廣智寺として今尚、信仰を集めております。
名 称 | 廣智寺霊園(こうちじれいえん) |
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所在地 | 大阪府高槻市天神町2丁目1番3号 |
電話番号 | 0120-976-715 |
管理者 | 宗教法人廣智寺 |
指定石材店 | 株式会社ひなた石材 |
廣智寺霊園についての申込み・お問合せは、株式会社ひなた石材にて承ります。
※当霊園の申込みについては、廣智寺より株式会社ひなた石材が業務委託されています。